最近お店でレシートを貰えない事でお金について思ったこと
最近、お店…特にコンビニで支払をする度に思わず、ん?と思うことがある。
私はフリーの身であるので、事業の申告のために買ったものや飲食で支払ったものの領収書やレシートは、事業に関わる関わらない関係なしに必ず貰って保管するようにしている。
ところが最近、コンビニや大衆の飲食店を中心にレシートを渡さない店が、まぁ多いこと多いこと。
レシートは必要ですか?と聞いてくる店はまだましな方で、中には要るかどうかも聞きもせずレシートをゴミ箱に捨てる店員もいる。(特にコンビニに多いが)
レジの前を見ると、御丁寧に不要なレシート入れが置いてあって、そこには大量のレシートが…。たしかにこれだけお客がレシートを捨てていくなら、店員のほうもどうせ要らないのだろうと思って、聞きもせず捨ててしまうのはわかるような気がする。
しかし、これだけレシートがゴミとして捨てられているのを見ると思うことがある。
自分の使ったお金にはまったく関心がないのだろうか?
そういう今でこそ必要にせまられて領収書やレシートを取っておくようになったが、昨年は帳簿付けを放置しっぱなしで決算時に慌てて処理したりで、自分のお金をしっかり管理しているとは言えない私であるが、そういう自分の状況も踏まえて少しこの事について考えてみようと思った。
そもそもその場でレシートを捨ててしまうのである。とても家計簿とかをつけて自分のお金の管理をしているとは思えない。
恐らく、貰ったレシートも数日間財布の中に溜め込んだまま、財布が膨らんできたタイミングで見もせずゴミ箱行きなのだろう。
レシートを貰ったり取っておくという習慣がなかった会社員時代を思い出す。まさにその通り。
そして、やたらとモノに執着する。似たようなものがあるのに買う。その似たようなものは買ったまま奥底に眠っていて忘れてしまっているのだ。
バーゲンの時期はただ安いというだけでお得な感じがして、さして欲しくないモノに手を手を出す。
そして3、4千円のものから1万円に満たない、一回の買い物だけを取ると大きな負担にならないものにすぐに手がいくのも、こういう人達の特徴ではないかと思う。
そうやって、家の中はどんどん要らないものが溢れかえる。
そのくせスーパーでの日用品とかの値段にやたらとシビアだったりする。まとめ買いしても数百円程度しか変わらないのに、安く買い物が出来たことで節約上手だと思い込む。
いや、その前に数千円の無駄なモノを買わないほうがよっぽど節約になるでしょ。
今は簡単にカードで買える時代だからもっと性質が悪い。レシートをその場で捨ててしまうような人間はそもそもカードを使って買い物をした事実を忘れる。
そしてカードの請求が来たときに、頭の合計金額を見て思う。「え…なんだこりゃ。こんな金額いつどこで使ったんだ?」と。
そして、明細を見て現実がだんだん蘇ってくると同時に、絶望感も膨れあがっていく。
今月どうやって生活していこう…と。
節約した行為は覚えているが、使った行為は忘れているのである。
自動販売機でのジュースやお酒、タバコ、飲み会での割り勘…レシートなしで使っているものは他にも沢山あるのだ。
こういう人達は、入ってくるお金に対しては実に敏感だ。
今月はこれだけ残業したから優雅に生活できる!とウキウキな気分になり、かたや次の月では残業も少なかったし、先月のカードでの支払いが多いから一ヶ月やっていけるかどうかもわからないと、給料日直後から気分が暗くなったりと、お金に感情を支配されてしまうのだ。
その月にお金に余裕があっても、給料日前に残っているお金はなかった月と変わらないか、実質的にはカードで使った分を含めるとマイナスなことが多い。
レシートを受け取らない人、財布に溜めたまま見もせず捨ててしまう人にはこのような傾向の人達が多いと思う。
散々な事を書いたが、まさに会社員時代の私はこの典型的なパターンだった。
それではフリーとなった今は変わったのか?というと相変わらずルーズだし、貯蓄もさしてなし、事業や住宅ローンなど借金まみれである。
それでも、最近自分の人生と向き合うようになって、お金とモノに対する向き合い方というのは随分変わったのではないかと思う。
お金と向き合う=人生と向き合う
結局のところ 、いつもお金がないないと言っている人、思っている人に共通して言えること。
それは、自分の人生と向き合っていないからでないだろうか?と最近思うようになった。
とかく人は、自分にとって都合の悪いこと、知りたくないこと、見たくないことに対しては目を背けて楽なほうにいく生き物なんだと。
自分は将来やりたいことがある、と思いながらこの先の困難や突きつけられる現実を恐れて行動に移せず、さして納得もしていない現状に甘んじてしまったり。毎日仕事や職場に不満がありながら、状況を変えようということもなく飲み屋で愚痴の言い合いで一時的な憂さ晴らしでやりすごしてしまったり。
そうやって己の弱さの隙間を埋めるかのように、散財という形でモノや一時的な快楽を求め、その己の弱さのアプトプットであるレシートや領収書を「捨てる」ことで、自分の人生という現実から逃れたいということではないかと、今までの自分の行動を通して思うわけです。
自分の使ったお金をレシートや領収書を通して向き合うということは、すなわち自分の人生と向き合うこと。
私もただ申告の為にレシートを貰って保管したり帳簿をつけたりするだけでなく、貰ったレシートの中身を見て、なりたい自分になるためのお金の使い方をしているのか、常に問いかけていこうと思う。
といいながら、今日もこのブログを書きながらコーヒー一杯にするつもりが、ケーキも頼んでしまったり…まだまだです(^^;