46回目の誕生日を前にAmazonのほしい物リストを公開したら。。。皆さん、ありがとうございました!
先日12月13日、46回目の誕生日を無事迎えることができました。
当日はSNSやメッセンジャーなどから沢山のお祝いのメッセージ、ありがとうございました!
また、さらに過去46年間にしてこんなことは初めてですが、数多くのプレゼントを贈って下さり驚きと感激が入り混じっております。
プレゼントについては、誕生日になる前にAmazonの「ほしい物リスト」を公開し、ブログ上でプレゼント下さいという暴挙に出たのが事の始まり。
自分の子供の頃に抱いていた誕生日というものに対するネガティブな思い込みや、そこから来るだろうと思われる己自身に価値観を感じることができない思い込み、といった部分を払しょくしたいという気持ちがありました。さらに、ほしい物リストを公開して誕生日プレゼントを贈ってくれるように促すなどと、自分の中で完全タブーとしている行為を一度くらいは外れてみてもいいかな?という気持ちもありました。正直今こうしてブログをアップした後にでもこの世からいなくなるかもしれないですし、一生に一度くらい派手にお祝いしてもらったという思い出ぐらいあってもいいのかなというゲスな考えもあったのですね(^^;;
とその一方で、あんなことを書いたばかりに、コイツ厚かましいヤツだなと不興を買って、貰えるものも貰えないじゃないかという気持ちもあったのですね。
最悪ゼロでもいいやぐらいに開き直っていた一方で、ブログをアップした後も嫌な場所に汗が流れるような思いでした。
そんな何とも座りの悪い気持ちをよそに、次の日から宅急便やポストへ次から次へとプレゼントが届く事態に茫然。。。最初のうちはうれしいという気持ちより、ただありえない事が起きていることに気持ちがついていけてない感じ。
時間が経つにつれようやくじわじわとうれしさがこみ上げてきた感じです。
そりゃ、ほしい物リストを公開して、プレゼント下さいなんて促されれば贈らざる得ない気持ちになるだろ?ってツッコミもあるでしょう。でもいくら催促したところで贈りたくもない人に贈らないですよね。私はプレゼントを頂いた人に対して、特別何か役に立つことをしたとか、貢献したとかあるわけではないです。むしろただそこに居るだけの存在。
そのただいるだけの存在に、誕生日当日にお祝いして貰える。これってとても凄い事だなぁと自分では思うんですよね。
それと同じく気づいたこと。子供の頃は時期的に誕生日とクリスマスと一緒に扱われてしまって、誕生日を祝って貰えない人間という思い込みをずっと引きずっっていて、それが社会人になってからも毎年のようにお祝いをされていても、何となく素直にそれを受け取れない気持ちがずっと続いていて、子供の頃からの気持ちをずっと引きずっていたのですが、ようやくそれが違うことに今更ながら気づいたんですね。もう今は十分お祝いしてもらっているのだということに。
沢山のお祝いを頂けて皆さんへの感謝とともに、そういった事にも気づくことができて、ほしい物リストを公開してよかったなと思います。
その一方で、これだけのプレゼントを頂いて大変申し訳ない気持ちもあるのですが。。。誕生日も含めたリスト公開の告知は今回限りにしようと思います(^^;;
というのもやっぱり、自分の中のタブー行為に対する座りの悪さというのも引きずっていて。。。なかなかこの部分のマインドはそう簡単には切り替わらないようですね。リストはそのまま継続して公開はしておきますが、来年以降の誕生日に告知はもうしません(笑)
最後にこんな事を書いてしまいましたが、誕生日に限らずともAmazonのほしい物リスト、公開してみる事おススメします。新たな気づきが見えるかもしれませんよ。